奥谷 健 著『市場所得と応能負担原則―応能負担原則の二元的構成―』

奥谷 健 著
『市場所得と応能負担原則―応能負担原則の二元的構成―』

(広島修道大学法学部教授)
平成30年7月(株)成文堂

 筆者は、①課税物件である「所得」の範囲は不明確であり、そのため課税対象も不明確なままである、②応能負担原則に照らしても、税負担能力の基礎となる「担税力」は、同様に多義的で不明確である、として、所得税の基本から検討する必要性があることを指摘する。本書は、そのような立場から、筆者が発表してきた論文に加筆補正をして、一冊にとりまとめられている。「序章」において筆者は、所得と担税力の多義性や、その概念的不明確性に対して筆者が抱く問題意識を明らかにし、所得概念や所得課税のあり方を検討する本書の全体的構成を紹介する。

 本書の第1部で筆者は、ドイツにおいて近時注目を集め、所得税法の解釈原理としても重要な役割を果たしている「市場所得説」に着目して生成過程と展開状況を検討・分析する。具体的には、市場所得説が法学的所得概念構築に向けた重要な糸口になることを示唆し、法的観点から「所得」概念を再構築すること(理論研究の再出発)の必要性を指摘する。ドイツ判決を通じて市場所得を「控除概念」の視点から検討し、筆者は、ドイツにおいては基因原則に基づく広い範囲の控除概念をもつことを論証するが、併せて、わが国の必要経費等の控除概念も、ドイツ法における目的的な控除概念と極めて類似しており、わが国所得税法における所得概念と控除概念の不適合さを解消する統一的解釈基準として基因原則や市場所得概念論から大きな示唆を得られるとの見解を述べる。近時の必要経費概念に関するわが国裁判例を検討した筆者は、基因原則に基づく必要経費の捉え方の重要性を強調する。

 第2部では、所得控除(とりわけ、人的控除)のあり方について基礎控除、扶養控除、医療費控除のそれぞれに焦点を当てて、ドイツと日本の判例や議論を紹介し、ここでも市場所得説が基礎控除のあり方を考える上で大きな示唆を与えるとする。

 第3部では、その他の担税力をめぐる問題として、課税負担の上限や、損害賠償金と非課税所得を取り上げて考察を加える。

 筆者は、ドイツにおける「市場所得説」に基づく客観的純所得と主観的純所得の二元的な応能負担原則の考え方に、問題解決への示唆を求めようとする。本書全体を通じて筆者の意図は、経済的な概念である所得を法律的な概念として再構築しようとするところにある。所得論の基礎をなす概念的問題に真っ向から取り組んでいる点や、基礎的な所得学説に関する文献やドイツの判決を丁寧に読み込み筆者なりの理解を試みている点、さらには日本の判決を丁寧に検証し、真摯な態度で分析・考察の対象としている点など、研究の手法が印象的である。

 本書に収録された各論文は、元々は一冊にとりまとめることを意図して書かれたものではない。そのためか、分析手法は必ずしも一貫しておらず、検討対象も網羅的であるとはいえない。ただし、ドイツにおける市場所得概念を基盤としながら、全編を一貫した姿勢で貫き論じている点で独自性があり、論理の組み立て方や論証の仕方なども、基準を満たしており、租税資料館賞授賞にふさわしい作品である。